「おかげ犬」とは、江戸時代、病気などで伊勢参りに行けない主人の代わりに伊勢神宮にお参りした犬のことを言います。
彼らは、おかげ参りに行く人々に連れられて伊勢神宮へと旅立ちました。
では、おかげ犬が活躍した時代背景や、おかげ犬の参拝とはどのようなものだったのでしょうか。
おかげ犬の参拝
江戸時代、庶民の間では伊勢神宮へ集団で参拝する「おかげ参り」というものが巻き起こりました。
数百万人規模のものが60年に一度起こり、江戸時代の間には3回のおかげ参りが行われたそうです。
しかし、庶民の中には病気で寝込んだりするなど参拝できない事情をかかえた人々もいました。
そんな、お参りに行きたくても行けない主人の代わりにご利益をもらいにお参りしたのが、「おかげ犬」です。
おかげ犬は、おかげ参りに行く近所の人に連れて行ってもらい、伊勢神宮を参拝する旅に出ました。
主人は、旅に必要な資金と伊勢参りをする旨を書いたメモを首に結んで、おかげ犬を送り出したそうです。
おかげ犬が来ると、おかげ参りの道中にいる人々はおかげ犬の世話をしました。
そうして、人々はエサをあげたり寝床を用意してあげたりして、その分のお金を少しもらっておきます。
しかし、中にはおかげ犬を称えて、逆にお金を足してあげる人や、自分の代わりにも参拝して神札をもらってきてくれるように頼む人もいたそうです。
そうして、首にかけたお金がどんどん重くなっていくため、それを軽い1枚の銀貨に換えてくれる人もいました。
おかげ犬が活躍した時代背景
江戸時代におかげ参りが盛んになった理由は、3つあると考えられます。
1つ目に、庶民の移動が以前より容易になったことです。
当時は五街道などの交通網の発達し、現代の旅行ガイドブックや旅行記のような本が売られるようになったこともあり、参拝が以前よりも簡単にできるようになっていました。
また、移動の制限が厳しかった農民も伊勢神宮を参拝することだけは許されていました。
2つ目に、お金があまりなくても旅ができたことです。
信心の旅ということで、お金がなくても道中で施しを受けながら旅を続けることができた時期でもあったのです。
3つ目に、子どもや奉公人でも参拝しやすかったことです。
伊勢神宮に祭られているのが商売繁盛の守り神、天照大神であったこともあり、子どもや奉公人が伊勢参りをしたいと言えば、親や主人はそれを止めてはいけない決まりでした。
また、親や主人に黙ってこっそり出掛けても、伊勢神宮を参詣した証拠としてお札やお守りを持ち帰れば、罰を受けることはありませんでした。
このような事情もあり、子どもや奉公人が親や主人に無断でおかげ参りに行くことも多かったそうです。
そのため、おかげ参りは抜け参りとも呼ばれています。
文献や浮世絵に描かれたおかげ犬
伊勢神宮に関する文献にもおかげ犬は登場します。
おかげ犬は伊勢神宮に着くと、そこで伊勢神宮のお札や宮司の奉納金の受領書をもらいました。
そしてもらったお札や受領書は、途中で犬が食べた食べ物の代金に関する帳面と共に持って帰ったそうです。
また、浮世絵《東海道五十三次》のシリーズで有名な歌川広重(安藤広重)の作品にもおかげ犬が登場します。
彼の《伊勢参宮宮川の渡し》という作品の中に出てくるおかげ犬は、出会った人にちゃっかりお饅頭までもらっています。
この絵からも、人々にとっておかげ犬が身近な存在だったことが読み取れます。
おかげ犬と現代
江戸時代にこれほど人々に親しまれ、愛されていたおかげ犬ですが、現代では、あまり見かけることはありません。
人々の代わりに犬が伊勢参りに行くことはなくなりました。
けれど、伊勢神宮の人々がおかげ犬のことを忘れたわけではありません。
今でも伊勢神宮の人々はお守りやストラップのモチーフにして、おかげ犬を称えています。
おかげ犬に思いを託した人々やおかげ犬を支えた人々の思いは、今も伊勢の地に息づいているのです。
伊勢神宮にお参りした際には、ぜひおかげ犬の面影を探してみてはいかがでしょうか。
おかげ犬を支えた人々の気持ちを忘れずにいよう
江戸時代後期に活躍したおかげ犬ですが、彼らはたった一匹で旅をしていたわけではありません。
その背景に道中で世話をしたりお金をくれたりする人々の支えがあったからこそ、おかげ犬は旅を続けることができたのです。
現代で、おかげ犬のように道を歩く犬がいたらどうなるでしょう。
関わりを持たないように避けたり、保健所に連絡したりする人はいても、お金をあげる人はおそらくいないでしょう。
良くても、エサをあげるくらいではないでしょうか。
これは、犬に対する考え方が変わったからだけでなく、日本人の信仰心の移り変わりによるものも大きいと思われます。
時代と共に人の考え方が変わるのは当然のことであり、仕方ないことです。
しかし、おかげ犬の世話をした人々が持っていた思いやりや慈しみの心は、いつの時代になっても忘れたくないものですね。