近年、愛犬が何らかの大きなけがや病気などになってしまい、手の施しようがなくなってしまったとき、「安楽死」という選択肢を取る人が増えて来ています。
しかし、どんな理由があれど、大切な愛犬の命を奪ってしまうことにも繋がっているものです。
愛犬の安楽死を選択する人の心理とは、一体どのようなものなのでしょうか?代表的なものをご紹介します。
1.愛犬が苦しんでいる様子を見ていられないから
愛犬の安楽死を選択するシチュエーションとして、最も多いものが、健康に回復のしようがないトラブルが発見されたときです。
事故に遭ってしまって大けがをして、もう手の施しようがなく、ただ死を待つだけの状態。
あるいは、治療不可能な病気にかかってしまい、やはりこのまま死んでいくのを見ていることしかできない場合などです。
愛犬にとっても、苦しいだけの時間がただ続いてしまうことは少なくありません。
発達した医療やそのときの体調などによって、すぐには死なずに生き長らえることはできたとしても、息をするのも苦しかったり、満足に歩行することもできないことはとてもたくさんあります。
そんな風に、苦しんでいるだけの愛犬を見ていることができず、安楽死という道を選ぶ飼い主はとても多いです。
安楽死は薬などの選択肢によって、眠るように死んでいくことができる方法です。
辛い状況から愛犬を解放してあげたいという一心で選択する場合があるというわけです。
2.闘病生活にかかる費用の問題から
前述したように、回復の見込みがなくても、限られた命を生き長らえる場合は少なくありません。
しかし、愛犬がただ息をしているだけで生存できるわけでもないのです。
闘病生活やその介護には、莫大な費用が発生することは少なくありません。
病院の施設費用や薬代をはじめとして、入院は一日に何万円もかかってしまうことがたくさんあります。
ペット用の健康保険などに加入していればサポートを受けることはできます。
しかし基本的に人間の医療とは根本的なシステムが違うため、愛犬の延命措置には非常に高い費用が発生し続けるのです。
これからも長く生きられる命であればまた問題が変わりますが、やがて死んでしまう命であることは変わりません。
更にこれまでのようないきいきとした生活をすることはできず、愛犬自身も大きく苦しんでいます。
これらが組み合わされば、費用の負担が持つ意味は非常に大きくなってきます。
無駄なお金を払い、命を救うことも結局できないのであれば、費用の節約を考えて安楽死を選択するという飼い主も多くなるというわけです。
3.介護や世話にかかる手間の問題から
安楽死を選択するような状態の愛犬には、世話や介護が欠かせません。
病院で丸任せにすれば莫大な費用が発生し、自宅介護をすればその分の費用は浮いてくれますが、その分飼い主やその家族の手間は非常に大きなものとなって来ます。
身動きができない愛犬の食事の世話やトイレの世話も必要ですし、専用のペットシーツやおむつなどのアイテムもそろえなくてはいけません。
体調を定期的にチェックし、安全を気遣う人がいなくてはいけないですし、急に体調が変わったとき、獣医の元に連れていく必要もあります。
そのため、ペット介護でストレスがたくさん溜まってしまったり、しっかり寝付く時間が取れずに睡眠不足に陥ってしまうケースも珍しくありません。
こういった手間や、精神的な負担、時間の問題などから、安楽死を選択する飼い主もたくさんいます。
4.獣医師のすすめから
愛犬の安楽死について、自らの決断をなかなか取れない飼い主もまた珍しくありません。
苦しんでいる様子を見ているのは辛いし、金銭的な負担も大きく、時間や手間などのデメリットも多く発生してしまいます。
それでもなお、大切な家族である愛犬をみすみす手放せない人は多いでしょう。
これまで一緒に過ごしてきたからこそ、かけがえのない存在として、最後まで生き切ってほしいと願う飼い主もたくさんいます。
そんなとき、安楽死への背中を獣医師が押すこともあります。
もちろん、獣医師も救える限りの犬の命を救いたいと感じている人がほとんどです。
専門的な知識と視点を持っているからこそ、安楽死を選択しないことで、どのような苦痛が犬や飼い主に降りかかってくるかも判断することができます。
飼い主の疲れやストレス、犬の苦痛やこれからの寿命、体調の変化などはもちろん、発生する費用や手間についても、これまでの経験と判断から理解することができます。
そのため、獣医師が安楽死をすすめ、飼い主がそれを受けるパターンもまた多いのです。
安楽死を選択する理由はそれぞれの事情がある
いかがでしたか?愛犬の安楽死を選択する飼い主には、それぞれ様々な事情が存在しています。
できるだけ長生きしてほしいけれど、生きることは簡単ではありません。
これまで大切にしていた家族だからこそ、大切な決断をしなくてはいけないこともあります。